言葉は歴史を積み上げる
2016年08月26日
先週とても幸せなことが、私の家でありました。 そして、ケージの中に居るクワガタ達にも、素敵な事が起こりました。
次の世代を残すということです。
白い粒々が見えますか?
クワガタの卵です!やったぜ!!
悲しきかなクワガタ達は(この種は)越冬することが出来ません。
なので年に一度卵を産んで次の世代を残す必要があるのです。 そして、生まれた新しい世代は、誰からも教えられることなく、本能のまま木をかじりつつ幼齢期を終え、また土から出て次の世代を作るのです。
人間は違いますよね。 先ず、人間は1年以上生きますし、そんなに毎年子供を産まないし、産む必要もありません。
その代わりとして、人間は、言語を次の世代へ伝えるツールとして編み出しました。 食べ物がどこにあるか、安全な場所はどこか等、生きるための情報を、そしてまた気持ちも同様です。
発話として存在していた言語は、一代、または二、三代のみ情報を伝えるのみでしたが、暫くして文字となり何代にもわたり、有益な情報だけではなく、気持ちを伝えるようになりました。
ここのところ、言語の幅を広げることは、世界と渡り合う為のツールとして見られることが多くなりましたが、それだけではない。と私は思います。
コミュニケーションは言語ではなく、心です。どんなに該当の言語が話せたとしても、心を通わせることが出来なければ、コミュニケーションではない、ただの上辺の付き合いになってしまいます。
私の大好きな野球選手、川崎宗則がそれを教えてくれました。ぜひ下記Youtubeを見て下さい。 (残念ながら野球については詳しくなく、某掲示板でMLBで頑張っている彼の姿が投稿されているのを見て好きになっただけですが。) https://www.youtube.com/watch?v=p4i3Zgt2TGw
宗則選手は英語が達者ではありませんでしたが、前向きさと、英語を理解しようと言うひたむきさで、アメリカでも一定のファンを獲得しています。 ファンを獲得するだけでなく、チーム内でもインタビュー時には度々呼ばれる等、所謂「愛されキャラ」と言う位置づけの様です。
ただ、言語はコミュニケーションを取り持ってくれる一つの有力なツールであることは間違いなく事実です。
そして、「違った言語域に住む人々と心をより深く通わせるために、何が必要か?」 と言う問いに私はやはり該当の「言語を習得することだ」。と思います。 ちょっとこの時点では矛盾してますが、また月曜日に続けます。暇があればお付き合いください。
一つ言えるのは、言語の幅を広げることは感情や、表現を豊かにすることだ。と私は思います。
また月曜日に!
Mizuki