ゴールを高く設定
2011年04月26日
4月初旬に京都に行ってきました
その時に出会った光景について 。
賀茂川沿いを満開の桜をみながら歩いていると、三条大橋のたもとに飛び石がありました。

ひとつひとつの石の間隔が50センチくらいでしょうか
大人の私であれば簡単に飛べるのですが、
川の流れも勢いがいいので、ちょっとこわいですし大きな川の半分に行くまでに疲れてしまって、後半はちょっと大変でした。
やっと向こう岸まで着くと、年長さんくらいの男の子とお父さんが飛び石を渡り始めるところでした。
小さな男の子にとっては、石の間隔は広すぎて無理だろうなぁ、とみていると
案の定男の子は石の前でとまっています。
しかしお父さんが声をかけながら飛べました。
やったぁ!よかったね! そこで終わりかと思ったら、当然のようにお父さんは次の石へ、そしてまた飛べると次の石へ。
3分の一くらいのところでとうとう男の子は泣き出してしまいました。
それでもお父さんはやめません。
泣いてしまってちっとも動けない男の子、それでもあきらめないお父さん。
いつになったらお父さんはあきらめて抱いて渡るのかな?と気になって、見守っていることしばらく、、
結局お父さんは どんなに男の子が泣いても、落ちつくまでずっと次の石で待っていて、準備ができると次の石で手を広げて男の子を励ます、
ひとつ飛べるとまた男の子は泣き出してしまう、お父さんは待つ・・。のくりかえし。
結局20分くらいかかったでしょうか。
なんとその小さな男の子はすべての石を自分で渡りきったのです!
男の子はもちろんすばらしいですが、お父さんの根気にも私は拍手を送りました。
泣いている子に手を差し伸べずに見ているのは親として気持ちのいいものではないと思いますし待つのも大変だと思います。
私だったらせいぜい2つか3つ渡らせてあとは抱いて渡ってしまったと思います。 男の子はそれでも満足しなかったことはないと思いますが、
その何十倍ものチャレンジができたのに、その機会を与えられなかったことになります。
大人は自分の責任で目標を設定しますが、子どもはそれができないので、周りにいる大人によってできること、できないことが制限されるというのを目の当たりにして学びました。
京都の星飛雄馬親子に感謝です。
写真は京都平安神宮の紅枝垂れ桜のライトアップです。
夢のような世界でした。皆さんにも一度ぜひ見ていただきたいです。

Rumi

その時に出会った光景について 。
賀茂川沿いを満開の桜をみながら歩いていると、三条大橋のたもとに飛び石がありました。

ひとつひとつの石の間隔が50センチくらいでしょうか
大人の私であれば簡単に飛べるのですが、
川の流れも勢いがいいので、ちょっとこわいですし大きな川の半分に行くまでに疲れてしまって、後半はちょっと大変でした。
やっと向こう岸まで着くと、年長さんくらいの男の子とお父さんが飛び石を渡り始めるところでした。
小さな男の子にとっては、石の間隔は広すぎて無理だろうなぁ、とみていると
案の定男の子は石の前でとまっています。
しかしお父さんが声をかけながら飛べました。
やったぁ!よかったね! そこで終わりかと思ったら、当然のようにお父さんは次の石へ、そしてまた飛べると次の石へ。
3分の一くらいのところでとうとう男の子は泣き出してしまいました。
それでもお父さんはやめません。
泣いてしまってちっとも動けない男の子、それでもあきらめないお父さん。
いつになったらお父さんはあきらめて抱いて渡るのかな?と気になって、見守っていることしばらく、、
結局お父さんは どんなに男の子が泣いても、落ちつくまでずっと次の石で待っていて、準備ができると次の石で手を広げて男の子を励ます、
ひとつ飛べるとまた男の子は泣き出してしまう、お父さんは待つ・・。のくりかえし。
結局20分くらいかかったでしょうか。
なんとその小さな男の子はすべての石を自分で渡りきったのです!
男の子はもちろんすばらしいですが、お父さんの根気にも私は拍手を送りました。
泣いている子に手を差し伸べずに見ているのは親として気持ちのいいものではないと思いますし待つのも大変だと思います。
私だったらせいぜい2つか3つ渡らせてあとは抱いて渡ってしまったと思います。 男の子はそれでも満足しなかったことはないと思いますが、
その何十倍ものチャレンジができたのに、その機会を与えられなかったことになります。
大人は自分の責任で目標を設定しますが、子どもはそれができないので、周りにいる大人によってできること、できないことが制限されるというのを目の当たりにして学びました。
京都の星飛雄馬親子に感謝です。
写真は京都平安神宮の紅枝垂れ桜のライトアップです。
夢のような世界でした。皆さんにも一度ぜひ見ていただきたいです。

Rumi